私たちは何をしている研究室? #
カブトムシの角、葉っぱのギザギザ、神経のもとになる管、エビの甲羅 ── 生き物の「かたち」は、誰かが設計図を細部まで描いたわけでもないのに、毎回ちゃんと同じように出来上がります。これはどうしてでしょう?
私たちの研究室では、こうした「生命のしくみに隠れた数理(数学の法則)」を解き明かすことを目指しています。生き物を観察するだけでなく、その仕組みを数式やコンピュータシミュレーションのモデルに置き換えて考えるのが特徴です。モデルにすると「こうすればこうなるはず」と予測でき、本物の生き物と見比べて、隠れたルールを見つけ出せます。私たちはこの新しい学問を 「生命数理科学」 と呼んでいます。
面白いのは、こうして見つけた生き物のルールが、ロボットの脚の設計や、新しい材料づくりにも応用できることです。さらに研究の射程は、分子のうごきから、細胞・組織、器官の発生、そして「理解する」「迷う」といった認知のはたらきにまで広がっています。物質から心まで、同じ数理の言葉で貫いて理解する ── それが私たちの挑戦です。
以下では、これまでの研究を5つのテーマに分けて、やさしく紹介します。各トピックの「→ 詳しく見る」から、発表のお知らせ記事や論文にアクセスできます。
1. 生き物の「かたち」はどう決まるのか ── 形態形成の数理 #
平らなシート状の細胞の集まり(上皮)が、折れ曲がったり、出っ張ったり、網目になったり。同じ細胞からどうしてこんなに違う形ができるのでしょう。私たちは、細胞が置かれた物理的な環境の「非対称さ」こそが、突起・ひだ・網目を作り分ける原理の一つであることを、数理モデルで示しました。組織の形づくりを「エネルギーの地形(ランドスケープ)」として捉え、なぜ形が安定して同じように出来上がるのかも調べています。
- → 上皮形態形成と物理環境の非対称性(Scientific Reports, 2022)
- → 制限された空間内での上皮組織の折り畳み(2019)
- → 組織形態形成のエネルギーランドスケープ(2019)
カブトムシの立派な角は、さなぎの中でクシャクシャに折り畳まれた「角原基」が膨らんで出来ます。私たちは、その折り畳みの設計図が3Dの角の形をどう決めているか、そして接着と収縮によって丸い形が鋭い角に変わる秘密を、シミュレーションで解き明かしました。植物でも同じ問いに挑み、花びらが葉と違う形になる仕組みや、葉の鋭い先端とくびれが「場所ごとに違う成長速度」から生まれることを共同研究で示しています。
- → カブトムシの3D角形状をコードする折り畳みの解析(Scientific Reports, 2021)
- → 接着と収縮が丸い角を尖った角に変える(Development, 2024)
- → 花びらの形が葉と違う仕組み(Development, 2022)
- → 葉の鋭い先端と凹んだ関節をつくる成長(The Plant Journal, 2025)
形づくりは細胞の「並べ替え」でも進みます。脳のもとになる神経管がどう作られるかを、国際共同研究で新しい細胞配置換えのメカニズムから明らかにしました。また、イセエビが幼生から変態するときの甲羅の形づくりや、組織の土台となる曲面の「曲率」がパターンを決めることも研究しています。球面ではドットから迷路へ、細長い面ではカブトムシの角のようなジグザグへ ── 形の運命は、分子の指示だけでなく、組織全体の「かたちの幾何」に書き込まれているのです。
- → 神経管をつくる新しい細胞配置換え(Current Biology, 2024)
- → イセエビの変態と甲殻の形態形成(Zoological Letters, 2026)
- → 曲面の曲率が座屈パターンを決める(JBSE, 2026)
2. 細胞や組織をコンピュータで再現する ── モデルと手法 #
生き物の形づくりをコンピュータで再現するには、「細胞をどう数式で表すか」という土台のモデルが必要です。私たちは、細胞を点(中心)で代表させて3次元の組織変形をシミュレーションする「細胞中心モデル」を独自に開発し、誰でも使えるようコードも公開しています。
組織が曲がる「曲げやすさ」をコンピュータ上でどう計算するか(曲げエネルギーの離散化)は、シミュレーションの精度を左右する重要な問題です。私たちは複数の計算手法を比べ、「定量的に正確に予測したいならこの方法」「ざっくり傾向をつかんで効率よく計算したいならこの方法」と、目的に応じた使い分けを明らかにしました。こうした手法そのものの研究が、信頼できるシミュレーションを支えています。
- → 3次元単層組織変形のための細胞中心モデル(JTB, 2023)
- → 曲げエネルギー離散化手法の比較(arXiv, 2025)
- → 異方性メッシュ上での曲げエネルギー離散化の比較(日本計算工学会論文集, 2025)
- → 上皮折り畳みの計算力学シミュレーション総説(JBSE, 2024)
- → 多細胞形態形成における粘性摩擦力のモデリング総説(2026)
ちょっと変わった「逆向き」の挑戦もしています。成長前後のたった2枚の画像から、「どこが・どれだけ成長したか」を推定する方法を開発しました。形を見て、その背後にあった成長のルールを読み解く ── 観察とモデルをつなぐ技術です。
3. 分子の「右手と左手」 ── キラリティと細胞骨格 #
私たちの右手と左手は、鏡に映すとそっくりなのに、重ね合わせることはできません。分子の世界にも同じ「右手・左手」(キラリティ)があり、生命はこの左右の違いを巧みに使っています。
細胞の中で骨組みとして働くアクチン繊維は、まっすぐな棒のような形が「ぶつからないように並ぶ」効果だけで、さまざまな秩序ある構造を作ります。さらに、ミオシンという分子モーターが働くと、高濃度のアクチンが同じ向きに回転するリング状構造を自発的に作ることを発見しました。細胞の中の左右非対称(キラリティ)がどう生まれるのか、その手がかりとなる成果です。
もっとミクロな分子そのものの「左右の違い」も研究しています。理論的には、右手型と左手型の分子の間にはごくわずかなエネルギー差(パリティ非保存効果)があるはずです。私たちは、この極めて小さな差を増強できる分子の条件や、電子を励起することでキラリティを強められることを、理論計算で示しました。
4. 生き物に学ぶものづくり ── ロボット・材料・4Dプリンティング #
生き物の巧みな仕組みは、新しい「ものづくり」のヒントになります。たとえば歩くロボットの脚。私たちは遺伝的アルゴリズム(生物の進化をまねた最適化手法)を使って、形も動きの軌道も事前に決めずに、たった1自由度で歩けるリンク脚機構を設計する方法を提案しました。さらに、速さ・安定性など複数の目標を同時に満たす多目的最適化にも発展させています。
生き物が「場所ごとに成長速度を変える」ことで平らなシートから立体を作る仕組み(偏差成長)にも学びました。熱で縮むフィルムの上に、縮まない樹脂片を3Dプリンタで配置するだけで、思いどおりの曲面を自在に作り出せます。昆虫の外骨格をまねた表面コーティングと組み合わせると、構造の硬さを約166倍にも高められました。生命の形づくりの原理が、未来の材料工学につながっています。
5. 「理解」「認知」「遊び」を数理で ── 生命から社会・文化へ #
私たちの興味は、生き物の体だけにとどまりません。そもそも「わかる」「理解する」とはどういうことか ── この哲学的な問いにも、数理モデルの立場から挑んでいます。
身近な「遊び」も研究対象です。ナンプレ(数独)やスリザーリンクといったペンシルパズルのルールを数学的に体系化する枠組みを作り、ルールを形式的に書き表すことに成功しました。これは、コンピュータによる新しいパズルの自動生成や、AIを活用した多様なルールづくりへの道を開きます。
物質から立ち上がった形が、情報を処理し(認知)、他者と関わり、社会や文化のような集団的な秩序を生み出す ── この全部の階層を、同じ数理と計算の言葉でつなぐこと。それが私たちの目指す、生命数理科学のこれからです。
もっと知りたい人へ #
ここで紹介したのは研究のほんの入り口です。最新の成果はお知らせに随時掲載しています。研究室への進学に興味のある方は、研究室を希望される方へもぜひご覧ください。あなたの「面白い!」という気持ちから、世界で唯一の研究が始まります。